日本一のすっぽん
中国では3000年以上も前の周の時代の王朝料理に使われていたという記録が残され、日本でも縄文時代の貝塚からすっぽんの骨が発掘されています。「新日本記」によれば7世紀初頭、近江の国(現在の滋賀県)から文武天皇にすっぽんが献上されたとの記述が残っていますが、長く不遇の時代を過ごしていきます。
さて話は変わりますが、ここ2年くらい「河北潟で採れたスッポンですけど、買ってもらえませんか」という電話がよくあります。またそれを買ったというお客さんもおいでになります。
当社のハウスルール上、いくら天然とはいえ水質の悪化した現代では、ヘドロの溜まる泥の中に住むスッポンですから体内に何かが蓄積されているのかもしれません。昔、台湾や東南アジアで養殖されたスッポンがコレラ菌に侵されていたという事例もあることですし、私どもでは責任も取れませんので、丁寧にご遠慮させていただいています。
「実際、天然のスッポンの味はどうなの」と使ったお客さんに確認を取りますが、「固くなかなか戻らなかった」「2時間かかった」「お客の希望だったからしかたなく」などと聞きますので15分や20分で柔らかく美味しく戻る浜名湖の服部中村養鼈場の「スッポン」とは似て非なるものです。
京都ですっぽん料理で有名な「大市」でも使われている服部のスッポンは、バブル時代では他産地とは1.5倍から2倍の値段の差が付きましたが、いまでは需要と供給の問題から出荷制限と取引先の選別を行い、新潟を含む北陸地方では当社だけの販売実績となっています。
■ 見渡す限り養殖池の服部中村養鼈場
スッポンは古くは泥亀と書いてスッポンと読まれ下賤の食べ物とされていたようです。
しかし江戸時代にはいると、名水のある灘からの日本酒が「寒造り」や「温和法」「火入れ法」などの酒造りの技術の向上により、その泥臭さを取ることができるようになり、やっと高貴裕福な食材へと変貌をとげました。 (江戸時代の随筆・神代余波より)
そして江戸時代は温室などない時代ですから、秋からの冬眠する前のスッポンが一番脂が乗って美味い時期だとされていました。
明治12年日本で最初に浜名湖で養殖が始まり(服部中村養鼈場)、いまでは日本全国で重油を使って水温を30℃に上げた養殖が盛んにおこなわれています。
この服部は鰻とスッポンを同時に養殖事業を始めたのですが、創業当時は、スッポンより鰻の方がはるかに生産量も多かったのにもかかわらず社名を 『服部中村養鼈場(はっとりなかむらようべつじょう)』 としています。
本来なら、養鰻場としてもおかしくないのに、養鼈(=スッポン)としたのは、それだけスッポンに対する創業者の思い入れが強かったのではないかと思われます。
その思いは当代までも受け継がれ、温水で育てれば一年で出荷サイズになるにもかかわらず、健康なスッポンを育てるため、その飼育密度を薄くするためにも見渡す限りの広い養殖池が絶対条件となります。
また天然と同じように外気が直接吹き込む露地池の砂の中で(ヘドロ交じりのドロとは違います)冬眠をさせるなど、3~4年をかけて成長させる創業以来の方法を貫いています。そして出荷サイズになると室内に移動させ、冬眠するギリギリの温度で脂の乗った状態を維持して私たちの元に送られてくるのです。
スッポンの美味しさの秘密の一つは、外気が15℃を下回る時に、砂の中にもぐりこみ冬眠を2回繰り返すことによって生まれてくるのです。
戦後に入ると全国から養殖のノウハウを教え欲しいとの依頼が多く寄せられ、よい水質、良い稚亀、良い餌を使うというノウハウは広まりましたが、目の前に大きく広がる露地池を見るとすべての人は中村方式を断念せざる得ませんでした。
ここでしかできない、唯一無二の存在、それが服部中村養鼈場なのです。
■ 見分け方
甲羅の色は緑を帯びた黄金色。黒いものはよくありません。天然物や九州など他の産地では黒みがかったものが多いようです。裏の腹側は黄みがかった白いものがベスト。やはり同じように黒いものはよくなく、青いものは貧血気味とされています。
形は丸く厚みのあり、エンペラは厚く伸びているものがよく、同じ大きさなら重いものの方が味にコクがあります。
これを考えると市場に出回るスッポンといかに違うかが理解できると思います。
大市に出荷されるサイズは一人で一枚なので500gですが、味がよく出るのは1.2Kサイズとされていて、個人的には800gから1Kがベストと思います。
外観がよいものは間違いなく味もよい!これは間違いがありません。人によっては足の付け根をもてば脂の乗り具合が分かるといいます。
■ 鬼平も食べた「すっぽん鍋」
江戸時代の中期になるとスッポンはよく食べられるようになったようです。
前述の『大市』もこの時代、創業していますし、 池波正太郎氏の代表作『鬼平犯科帳』にも、火付盗賊改方の御頭(長官)、長谷川平蔵が、捜査の合間、部下にスッポンを食べに行こうと誘うくだりがあります。
無論、これは、時代小説の中での描写ですが、スッポンが、 江戸前の握り寿司や天ぷらがそうであったように、当時は、庶民が屋台で手軽に食べる食事、いわば、ファースト・フードだったことを垣間見ることが出来ます。
ただ、スッポンは成長するまでに時間がかかる為、天然で捕れるスッポンの数も少なく、人気が出るにつれて庶民の口から遠ざかった のかも知れません。ただ、この時代から既にスッポンは「美味いモノ」と認められていたことは間違いないでしょう。
■ 美味しんぼ
「美味しんぼ」と言えば、東西新聞文化部社員、山岡士郎と栗田ゆう子を主人公に、食のテーマグルメ漫画。
その中で大市の「すっぽん鍋」が取り上げられています。老舗中の老舗であるがゆえ、日々調理されるスッポンのダシをたっぷりと吸い込んだ年代物の土鍋が存在しており、美味しんぼ第3巻ではその土鍋が活躍するという内容です。
■ 日本テレビ「どっちの料理ショー」で あんこう鍋vsすっぽん鍋 対決
関口と三宅が対比される料理を持ち出して、それぞれの料理の素材や作り方を紹介する。最後に7人のパネラーに食べたい料理を選択させ、多数決で2つの料理の勝敗を決める。負けた料理を選んだパネラーはさんざん待たされたあげく何も食べられない。という番組でした。
見事、服部中村養鼈場のすっぽんを使った「すっぽん鍋」が勝ちました。
■ 第75回 正倉院展(令和5年(2023)10月28日(土)~11月13日(月))
スツポンを形どった置物、仙薬を入れるための容器とも言われていますが「青斑石鼈合子(せいはんせきのべつごうす)」が公開されます。
腹部を八稜形に刳り込んで、そこに同じ八稜形の皿がすっぽりと納まるようになっている。
材質・技法 : 蛇紋岩 目は琥珀 甲羅の北斗七星文は銀象嵌・金泥
スッポンの形をした蓋付きの容器。スッポンは写実的に表され、背には金銀で北斗七星を描く。青斑石すなわち蛇紋岩で製作されており、眼には深紅色の琥珀を嵌める。
甲羅に北斗七星の文が金と銀で刻まれている事で、星座が刻まれた宝物は正倉院の中でも極めて少ない。
当時の時代背景として、スッポンは以下の3つの意味があったと考えられています。
長寿や不老不死のシンボル
スッポンは、長生きする生き物として古くから知られており、長寿や不老不死のシンボルとして珍重されてきました。正倉院に伝わる「青斑石鼈合子」の甲羅には、北斗七星を反転した形が金と銀で描かれています。北斗七星は、中国では古くから不老長寿の象徴とされており、スッポンと合わせて、不老不死を願う意味があったと考えられています。
神聖な生き物
スッポンは、亀類や龍と共に、古くから神聖な生き物として信仰されてきました。亀類は、天を支える柱と考えられており、龍は、神の使いと考えられていました。スッポンは、こうした亀類や龍と親戚関係にあると考えられることから、神聖な生き物として尊ばれていました。
薬用価値のある生き物
スッポンは、肉や甲羅、内臓など、さまざまな部分に薬用価値があると考えられていました。肉は、滋養強壮や精力増強に効果があるとされ、甲羅は、結核や皮膚病などの治療に効果があるとされていました。内臓は、肝臓や腎臓などの臓器に効果があるとされていました。
以上のようなことから、当時の時代背景として、スッポンは長寿や不老不死、神聖さ、薬用価値などの意味があったと考えられます。こうした意味を込めて、正倉院に伝わる「青斑石鼈合子」は作られたと考えられます。
なお、正倉院に伝わる「青斑石鼈合子」は、仙薬を入れる容器だったとする説もあります。スッポンは、不老不死の薬である七星散の原料と考えられていたことから、仙薬を入れる容器として作られたと考えられます。
