駅弁のビジネスモデル

駅弁の起源は、ゴマをまぶしたにぎりめし2個とタクワン2切れを竹の皮に包んだもので、もともと列車の窓越しに売る「立ち売り」が一般的でしたが、昭和30年代ごろから列車の高速化で窓が開かなくなり、だんだんと駅弁を売ることができなくなっていきました。

地方では過疎化とモータリゼーションの進行で鉄道の利用者が減少。駅の売店が閉鎖し、車内販売が縮小、廃線などもあり駅弁の売り場がどんどんなくなっていったのです。
コロナ禍の前から、地元の駅では売れなくなっていました。『森のいかめし』の森駅における1日の平均乗車数は277人(19年)、峠の釜めしの横川駅は165人(20年)、『氏家かきめし』の厚岸駅は127人(19年)、『かにめし』の長万部駅は乗降客数が296人(18年)です。
これらは、京王百貨店の駅弁大会で常に上位に入る超人気駅弁ですが、この利用客数では、いくら駅で頑張っても経営が成り立つはずがありません。

こうした地方の駅弁は、京王百貨店をはじめとする百貨店の駅弁大会に出店することで名を売り、マスメディアの報道によって脚光を浴びて、やっとふるさとの代表としてのブランドを身に付けました。
そして旅行のマストアイテム(欠かせないもの。 絶対に必要なもの)となり、駅以外の高速道路のサービスエリアや郷土物産を販売する催事でも売れるようになっていきました。

最初に注目を浴びたのは、50回を超える1月に行われる京王百貨店が主催する駅弁大会(別名『駅弁甲子園』)からでした。高度経済成長の時期に各地への旅行熱も高まり、駅弁を味わう人も増えていきました。旅先で知った味を、駅弁大会で追体験したいというニーズも広がっていきました。だんだんと「駅の駅弁」は「ご当地の特別なお弁当」としての認知と人気を高めていったというわけです。

百貨店の2月、8月の売上対策としての「ニッパチ対策」であれば、8月も候補になりそうですが、催事担当 統括マネージャー 堀江氏は 「ありえない時期」と首を振ります。なぜなら、夏の暑さは駅弁の大敵だからです。

駅弁は各地から運ばれてきます。遠隔地の場合、輸送に時間がかかるケースも珍しくない。真夏の開催では、食材が傷んでしまうリスクが1月よりずっと高まる。気温がまだ低い真冬の1月は駅弁大会のベストシーズンなのです。
生ものを扱う実演販売での安全性を考慮すれば、やはり真冬が望ましいということになります。「1年の始まりに華やかな催しと、おいしい駅弁はふさわしい」 という思いも込められているといいます。

そうするうちに、特急の車内販売はなくなり、コロナの影響で新幹線さえなくなりました。感染予防の観点から外出自粛が政府や自治体から要請され、駅弁業者の大半が、最大で月商の9割以上を失う状況にまで追い込まれたのです。

ようやく規制が解けたとはいえ、まだコロナ禍前と同じようには旅行や出張に出掛けにくいムードが残る中、駅弁は旅情を味わえる貴重な食べ物です。各地の駅弁がそろう京王百の駅弁大会では一度に諸国味めぐり気分も楽しめます。

そして次に、全国的知名度を得た駅弁業者がターゲットとした市場はスーパーでした。スーパーの弁当は、平均すれば1個400円くらいで、駅弁の価格はその2倍以上する高価格です。スーパーにすれば増収増益のチャンスです。高価格にもかかわらず駅弁の売れ行きは好調で、スーパーでは駅弁を売る催事が増えています。

さらに、今回のコロナ禍で、旅行気分を味わうための一般的な商品として、百貨店より生活に身近なスーパーやネット通販でも販売可能な商品へと脱皮していったのです。
決してその方向は間違ってはいなかったと思いますが、安全性を後回しにした商売などありえません。

今回の駅弁による食品事故は、スーパーの駅弁大会だけで起きたことでした。
その原因として商社がかかわる配送、スーパーでの取り扱いなどの問題も可能性も考えられます。昭和時代の昔に起きた、単純な駅弁の食中毒のケースとは異なり、週末に全国各地のスーパーチェーン店で全国各地の駅弁を集めて売る催事で起きたことが、これまでにない特徴として指摘されています。

駅では駅弁がターミナル百貨店に出店する有名店の弁当持ち込みに押され、今はコンビニ弁当に押され不振、駅以外ではその逆の現象が起こっています。不思議なものですね。